躓きについて

私は今、仕事をしばらくお休みして実家で過ごしている。
思い返せば、苦手な事務処理、電話対応、飛び込み営業に心身をすり減らしていたのだと思う。ずっと電話が鳴り続けたり、人の出入りが激しい環境がとても苦手で仕方がなかった。それが苦痛で、職場ではよくイヤホンをつけていた。
また、過度な上下関係や男性優位の企業文化にもついていけなかった。
仕事の合間を縫って作成し提出した提案書について、1対1で上司から呼び出されて根回しの仕方について注意された。私には根回しの多さやコミュニケーションコストの大きい企業は合わないのかもしれない。
そうしているうちに、3月頃から仕事中に頭が回らなくなっていった。仕事以外の日にも、頭が回らずに上の空の状態が続いていた。

産業医や家族に勧められて病院に行くと、抑うつ状態の診断が出された。
まさか自分がこうなるとはゆめゆめ想像していなかった。

4月から休職し、実家では特段何もできずにただただ過ぎていく時間を眺める日々が続いている。
何もしなくなることを恐れて、地元の大学に科目履修生として授業に潜り込んでいる。けど、そこに何かピンとくるものがあるかと問われると、あまりない。
勿論、両親に迷惑をかけていることは自覚している。が、どのように活路を見出すべきか見当がついていない。

 

先週1週間、東京の姉夫婦宅に滞在させてもらいながら、東京の心療内科へ赴いた。

約5時間に及ぶ検査の結果、ASDであるという診断を受けた。

 

思い返せば、幼少期から自分の置かれた環境の中で集団に適応することに困難を抱えていた。友人と対立することは少なくなかったし、孤立して保健室で弁当を食べた日々もあった。

でもなまじ勉強はできてしまったから、休み時間は勉強することが1人でいる言い訳になったし、国公立大学に合格することもできてしまった。

 

大学入学後も、いくつかのコミュニティに属してみたが周囲と「なにか違う」という違和感が拭い去られることはなかった。

コロナ禍の完全リモートのライフスタイルで過ごせた2年間が最も心穏やかだった。

それでも研究や卒論の執筆は楽しかったし、飽きなかった。成績だけは良かった。

だから社会人でもなんとかなるだろう、と甘い見通しを持っていた。そこが誤っていた。

 

自分が社会的に「勉強だけはできるけど、付き合いたくはない奴」であることをしっかりと認識させられた1年間であった。

 

本当は、勉強以外の対人関係とか仕事とか、もっとうまくできるようになりたい。きっとこの想いの強さは人一倍あると思う。

それがうまくいかなくて24年間、苦しんできた。集団で信望のある人の言動をコピーしようともがいたこともあった。

 

でも、ASDだと知り、今までの自分の生きづらさの要因が分かり伏線が回収されたような気持ちになった。

 

問題は、ここからだ。

どの仕事をするか。

継続的に、且つ自立的に働く環境を見つけ出し、適応する努力をすること。

 

これがとても骨の折れる課題であるということを、最近身をもって痛感している。