形容不可能な3か月半

仕事を休職して3カ月半ほどが経とうとしている.

 

勤務地の名古屋から田舎の実家に戻り,比較的穏やかでありながらも自分の未来に対する教員感や不安感は常に自分の中に在り続けていた.

 

休職中とはいえ体調はほとんど回復していて

でも現職に戻る意思が持てずに

教員採用試験の対策をしている日々である.

 

教員に向いているとは思えないし,正直怖さが勝っていることも事実である.

最初の1年はとても疲れることも予想がつく.

 

でも「やりたい」より「できる」を優先させた方が仕事は続くんだろうな.

 

いつも考えることは堂々巡りである.

 

 

教員採用試験の勉強も最近は飽き始めてきて, 韓国ドラマを消費する時間も多い.

何をやっているんだと自分に呆れてしまうけど

抑うつになってまで合わない仕事を続けた自分を労わるためというそれらしい言い訳をして結局Netflixなどを開く.

 

過剰優等生でASD気質で「こうであらねばならない」思考が元々強い私がここまで自分の怠惰さを甘んじて受け入れていることに少々驚く.

 

教員採用試験の勉強を理由に自分を追い詰めてまた抑うつにはなりたくはない.

 

試験が落ち着いたら現職からの身の引き方とか空白期間の埋め方を考えねば.

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昨日、また著名人1人が自ら命を絶った.

 

彼女はいろんなことに気づけて,思慮深くて,繊細で,でも自分の主張はちゃんとできる人で, 私は憧れていた

 

なんでかな

 

私がいいなと思う著名人ほど裏ではとても悩んでいる人が多い

 

それを表に出さないことは強さなのか弱さなのか

 

私はとても弱い人間だからこそ, 悩みを表に出さずに前向きな発言をする人に強さを感じるけども

 

強く見える人もとても弱くて脆い

 

でもその脆さは人間本来のものなのかもしれないし, 美しさもあると思う.

 

だからといって自死を選んでも良いということではないけども

 

人の命の心許なさが切実に感じられる

2023/06/19

休職して2か月半以上が経過した。

抑うつ状態の診断が出された3月中旬と比較すると、精神的にとても落ち着いてきたと思う。

 

地元である青森の実家で休息しながら、次のステップへの準備を進められるようになるまで回復してきた。

 

ASDと診断され、人間関係のつまずきの多さの原因が判明し腑に落ちた一方で、今後の生き方について悩目指すていた。

「勉強しか」できない私に、仕事は務まるのだろうか、と。

 

「勉強しか」できないのであれば、勉強することが優先される仕事に就いた方がいいんだろうな、と思った。

 

そこでさしあたり高校教員を目指すことにした(中高教員免許は取得済み)。

 

もちろん、高校教員は学習指導だけでなく生徒指導や学級経営、部活動指導、保護者対応などといったASDがあまり得意としない業務をやらなければならないこともある。

 

しかし、中学校教員と比較して、まだ教科指導が優先されやすい校種であること、もし仮に高校教員も務まらなかったとしたら塾講師に転身しようと思えること。

 

Do better than think bestのマインドで進めなければ、いつまで経っても状況は変化しない。

 

だからこそ、この仮定を基に進めていくことにした。

 

ただ、地元の青森にはあまり戻りたくないと思っている。

発達障害への理解があまりにも進んでいないし、冬は日が短くセロトニンの分泌量が低くなり、中高時代毎年のようにうつっぽくなっていたから。

 

できれば都市部で交通のアクセスも良いところに行きたいな。

躓きについて

私は今、仕事をしばらくお休みして実家で過ごしている。
思い返せば、苦手な事務処理、電話対応、飛び込み営業に心身をすり減らしていたのだと思う。ずっと電話が鳴り続けたり、人の出入りが激しい環境がとても苦手で仕方がなかった。それが苦痛で、職場ではよくイヤホンをつけていた。
また、過度な上下関係や男性優位の企業文化にもついていけなかった。
仕事の合間を縫って作成し提出した提案書について、1対1で上司から呼び出されて根回しの仕方について注意された。私には根回しの多さやコミュニケーションコストの大きい企業は合わないのかもしれない。
そうしているうちに、3月頃から仕事中に頭が回らなくなっていった。仕事以外の日にも、頭が回らずに上の空の状態が続いていた。

産業医や家族に勧められて病院に行くと、抑うつ状態の診断が出された。
まさか自分がこうなるとはゆめゆめ想像していなかった。

4月から休職し、実家では特段何もできずにただただ過ぎていく時間を眺める日々が続いている。
何もしなくなることを恐れて、地元の大学に科目履修生として授業に潜り込んでいる。けど、そこに何かピンとくるものがあるかと問われると、あまりない。
勿論、両親に迷惑をかけていることは自覚している。が、どのように活路を見出すべきか見当がついていない。

 

先週1週間、東京の姉夫婦宅に滞在させてもらいながら、東京の心療内科へ赴いた。

約5時間に及ぶ検査の結果、ASDであるという診断を受けた。

 

思い返せば、幼少期から自分の置かれた環境の中で集団に適応することに困難を抱えていた。友人と対立することは少なくなかったし、孤立して保健室で弁当を食べた日々もあった。

でもなまじ勉強はできてしまったから、休み時間は勉強することが1人でいる言い訳になったし、国公立大学に合格することもできてしまった。

 

大学入学後も、いくつかのコミュニティに属してみたが周囲と「なにか違う」という違和感が拭い去られることはなかった。

コロナ禍の完全リモートのライフスタイルで過ごせた2年間が最も心穏やかだった。

それでも研究や卒論の執筆は楽しかったし、飽きなかった。成績だけは良かった。

だから社会人でもなんとかなるだろう、と甘い見通しを持っていた。そこが誤っていた。

 

自分が社会的に「勉強だけはできるけど、付き合いたくはない奴」であることをしっかりと認識させられた1年間であった。

 

本当は、勉強以外の対人関係とか仕事とか、もっとうまくできるようになりたい。きっとこの想いの強さは人一倍あると思う。

それがうまくいかなくて24年間、苦しんできた。集団で信望のある人の言動をコピーしようともがいたこともあった。

 

でも、ASDだと知り、今までの自分の生きづらさの要因が分かり伏線が回収されたような気持ちになった。

 

問題は、ここからだ。

どの仕事をするか。

継続的に、且つ自立的に働く環境を見つけ出し、適応する努力をすること。

 

これがとても骨の折れる課題であるということを、最近身をもって痛感している。

2023/03/25

行動しなければいけない。

状況を変えなければならない。

ちゃんとしなければならない。

 

全部「ねばならない」に縛られて不自由さに囚われてしまい、どんどん視野狭窄に陥ってしまう。

そして他者の言葉ひとつひとつに大きく反応してしまうようになる。

自分の「好き」よりも「得意」を優先させた方が人生長続きすると思っているのに、夢見がちな言葉を並べ立てる人の言葉を信じてしまいそうになる。

 

自分の状況を客観視することって、案外難しい。食べていけるだけの収入も確保していかなければ生きていけないし。

 

普通に生きるって、結構ハードモードなんだなとつくづく感じる。

 

今のバイアスのままで意思決定したら危険かもしれない。

とりあえず休むこと。

2023/02/08

今日は転職活動で初めて内定もらった。

 

今の職場よりも将来性の見込める職種・業界だけど、もっと自分がワクワクできる領域は違うところにあるような気がしている。

 

来年も今の会社に留まっている自信は殆どない。何なら、今すぐこの職場から離れたい気持ちが強い。それでも社会人2年目の方が、市場的には合格率や応募できる幅も広がるらしい。

 

悩ましい選択肢の岐路に立っている。

 

この1年を振り返れば、社会人になったことそのものの焦りや自分の仕事の出来なさへの不安ではなく、思っていた以上に今の仕事が単調で面白味に欠けており、将来につながる感覚もなく、ただ自分の能力・労力・時間を無駄に流しているだけという物足りなさ・苛立ちが大きい。

 

そして、日系大手によくあると言われている「オッサン文化」の中で日々をサバイブしなければならないことへの苦痛さも大きい。

 

その思考・発言・行動が、なぜ若手や女性から違和感・反感を持たれるのかという点に鈍感で在り続けられる彼らは、法律や終身雇用・年功序列という制度・文化に守られているが故に、倫理観をアップデートし続けることもないのだ、という絶望。

 

私はどちらかというと、そういった慣習を打ち破るための組織開発・人材開発に興味が強いんだと思う。

 

もうちょっと丁寧に検討しなければならない。

2023/02/07

自分の感覚・思考がビビッドに感じられなくなった。それらを的確に言葉にすることも億劫に感じられるようになり、理由も分からない涙を零すようになった。

 

社会人になってから、学生時代に自分の内に大事に育んできた感性や判断基準が日々の単純作業の連続の中で消失してしまいそうになることに自分自身でも戸惑い、焦燥感、同時に無気力感を覚えてしまう。

 

この1年で自分が何かしら「伸びた」「増えた」という感覚が殆どない。あまつさえ、得たものより失ったものの方が多いような気もする。

 

住む地域、やりたかった仕事、心地良くて適度にインスパイアし合える人間関係。

 

週末に大学時代の大切な友人と久々に電話をして、自分が何に落ち込んで、何に不安を感じているのか、前よりも明確になってきた気がする。

 

その原因を解消するために必要な行動ひとつひとつを積み上げる他ないのだろう。

 

ここ1ヶ月ほどの無気力状態から脱せねば。